ウィンブルドン2001大会で頭角を現したフェデラー
ロジャー・フェデラーのキャリアにおいて、たった一つの出来事だけをターニングポイントとみるのは正しくないでしょう。しかし、トップへの道を徐々に上り詰める中で彼のポテンシャルを一躍世間に知らしめた大会があります。それがウィンブルドン2001大会。
当時、フェデラーは世界16位、新進気鋭の19歳の若手選手。ウィンブルドン前に芝にもっと慣れるために、オランダのスヘルトーヘンボスの大会に出場し、3試合を快勝し、準決勝で強敵のレイトン・ヒューストンと対戦。
オランダに滞在中、ウィンブルドン2001のドローが発表。第1シードはピート・サンプラス。サンプラスはそれまでの8年間に、ウィンブルドン男子シングルスで7度優勝していたため、ウィンブルドン31連勝をさらに伸ばして世界の王者として君臨しつづけられるかに注目が集まっていました。しかし、2001年6月時点、ウィンブルドンの絶対王者も世界ランク6位まで後退し、確実に衰えが見えていました。
その年、イギリスのテニス界はようやくティム・ヘンマン(世界最高4位)の時代がやってきたと期待。準々決勝で対戦するであろうヘンマンとサンプラスの一戦は大会前から盛り上がっていました。
どんよりとした月曜日、4回戦まで勝ち上がった男女全てのシングルスプレーヤーが出場。この時、フェデラーは初めてウィンブルドンのセンターコートに歩み出ました。対戦相手はサンプラス。フェデラーは英国のロイヤルファミリーがロイヤルボックスに臨席される場合のおじぎ(この慣習は廃止された)など、センターコートのしきたりも初体験。
第15シードだったフェデラー(世界ランク16位)には、良い経験になるだろうくらいにしか思われず、君臨するチャンピオンを倒すことなど期待されていなかった。ほとんどの英国の観客にとって、その試合は準々決勝のサンプラス対ヘンマンの試合の通過点でしかなかった。だが、フェデラーの周りの人々は、19歳の彼にサンプラスを破る力があると信じ疑っていませんでした。
第5セットは互いにサービスをキープして第12ゲームまで進んだが、フェデラーはサンプラスのサーブを予測して見事にリターンを決めた途端、グラウンドに倒れた。3時間41分にも及ぶ戦いの末、1997年ウィンブルドン以来の王者の31試合連続勝利をストップさせたのです。

勝利に感きわまるフェデラー
実は、フェデラーとサンプラスが公式試合で対戦したのは、後にも先にもこの1回のみでした。
「多くの若手が台頭してくるが、ロジャーは格別だ。優れたオールラウンドプレーヤーで、僕と似ていてあまり感情的にならない。素晴らしいアスリートだ」ーサンプラス
「初めてウィンブルドンに出て、そしてピートに勝ったあの試合は忘れもしない。ファイナルセット7-5で勝ったんだ。」ーフェデラー
続く準々決勝、ヘンマンはベストともいえる試合展開でゲームを制し、フェデラーが準決勝に進出するのを阻止。それでも、ウィンブルドンでサンプラスを破ったことで、フェデラーはテニス界で注目されました。
一方で、ヘンマンは彼を破ったものの、その年のウィンブルドンで優勝できなければ、この若手の台頭を食い止めることは手遅れになるだろうと、英国民ははっきりと認識しました。そして、ヘンマンは最もチャンスのあった年でしたが、3日間にわたった準決勝でゴラン・イバニセビッチに、フルセットの末敗退。
その後フェデラーは2年後のウィンブルドン2003でグランドスラム初タイトルを獲得します。