神和住純さん(かみわずみ じゅん, 1947年10月1日 生 )日本人初のトーナメントプロとして活躍しました。往年の名テニスプレーヤーです。
錦織圭選手が全米オープンで決勝に進むまで、日本人の全米オープン最高記録(3回戦進出)をもっていました。
神和住純 現在は?
石川県鳳珠郡能登町出身、東京育ち。ソフトテニス全日本チャンピオンであった両親の影響から、中学1年でソフトテニス(軟式庭球)を始める
能登町はソフトテニスで街おこしをすすめていて、神和住純さんも能都町広報誌「広報のと」に登場して、能都町の思い出やソフトテニスから硬式テニスへ転向した理由などを語っています。
中学までソフトテニス(軟式テニス)を続け、東京都で3位になった。高校進学時に、「硬式テニスは強くなれば世界にいける」と思って、当時、強かった法政二高に入ることを決めたと語ります。
その後の活躍は
1965年 全国高等学校総合体育大会テニス競技大会完全優勝
全日本ジュニアテニス選手権単複優勝
1968〜 法政大学ではインカレシングルス3連勝
卒業後、住友軽金属工業(現・UACJ)に入社
1973年、日本人では戦後初のトーナメントプロ第1号
全米オープンのシングルスで3回戦進出
トーナメントプロ 第1号がなぜ、ニュースになったのでしょうか?当時はスポーツといえばアマチュアが原則・基本という時代でした。
賞金をもらっているプロ選手は、アマチュアしか参加できない大会には、そもそも参加ができない決まりになっていました。
そんな時代に、日本テニス界もプロの参加を認めることとなり、神和住純さんが最初のプロ選手として活躍していきます。
1974年、当時世界トップクラスのスタン・スミスを全仏オープンと全米プロテニス選手権で2度破る
1978年 日本もプロオープン化承認され、デビスカップ出場
国内の7大会のシングルスに優勝し、7年連続賞金王1983年 「グンゼワールドテニス」(1974年(昭和49年)から1993年(平成5年)まで日本で行われたエキシビション大会)では、ロイ・エマーソン、ロッド・レーバー、ジョン・ニューカムといった往年の世界のトップ選手を次々に破って優勝
1986年 全日本選手権を最後に現役引退。
その後、NHK教育テレビで「ベストテニス」の講師を5年間
スポーツ番組のリポーターを少しやったあと、日本テレビの「独占! !スポーツ情報」でキャスターを4年間務めます。
1995年 鹿屋体育大学教授
1999年 母校法政大学教授となる
1997年よりデ杯日本代表監督に就任。日本テニス協会理事も務める
現在は 76歳(2023年) 法政大学スポーツ健康科学部教授、です。
神和住純さんの家族、息子は?
ご両親がソフトテニスの全日本チャンピオン、お父様は神和住正(かみわずみただし)さん、能登出身で小学校からソフトテニスプレーし、東京に出てからは、都庁で働きながらトッププレヤーになっています。
お母様は、神和住静子さん、全日本チャンピオンです。ご両親のソフトテニスを受け継いで、硬式テニスに転向し、世界に挑戦していったのですね。
ここまで、家族の情報をみてきましたが、神和住純さん自身の家族の情報はさがせませんでした。
また、息子さんがいる記述はありましたが、詳細は調べられませんでした。
しかし、往年のプレー、バラエティー番組への出演など、貴重なアーカイブがありました。
往年の写真は?
若い頃は、イケメンですよね!
今後も、後進の指導など、テニスの発展を支えて行かれるのでしょう。
コメント