ノバク・ジョコビッチ【Wiki】

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ノバク・ジョコビッチはセルビア出身のプロテニス選手。

選手情報

基本情報

ノバク・ジョコビッチNovak Đoković, セルビア語: Новак Ђоковић, 1987年5月22日 – )は、セルビア・ベオグラード出身の男子プロテニス選手。ATPランキング自己最高位はシングルス1位、ダブルス114位。ATPツアーでシングルス61勝、ダブルス1勝。身長188cm、体重80kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。愛称は「ノール」(Nole)

グランドスラムは歴代5位タイの優勝11回。全豪オープンオープン化以降最多優勝・最多連覇の3連覇6回優勝。ワールドツアー・ファイナル優勝5回現在4連覇中。2011年と2015年にはオープン化以降男子6人目となる4大大会3冠を達成。2015年には史上初であるATPワールドツアー・マスターズ1000で年間6勝、4大大会で全豪・全英・全米の3冠を達成するも、全仏だけは逃した。

世界ランキング1位在位記録歴代5位で2014年7月から現在まで1位に在位中。セルビア人初の4大大会優勝者で2010年のデビスカップセルビア代表の優勝に貢献。セルビア語、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語を操るマルチリンガルである。セルビア・モンテネグロの分離により、現在は「セルビア」国籍でエントリー。敬虔なキリスト教セルビア正教会の信徒である。

生い立ち

1987年5月22日にセルビア・ベオグラードのスキーリゾート地でピザレストランを営む両親のもとに長男として生を受ける。しかし、11歳の時コソボ紛争に巻込まれる。戦争中もプロを目指して戦渦の街でテニスの練習を続け、戦争の激化によりテニスを続けることが困難になり、遂には両親が借金をして留学させ単身ドイツへ渡った。数多のトッププロの中でも、ジョコビッチとマリア・シャラポワ(ロシア)は壮絶な生い立ちを経験している。「すべてのプロテニス選手が富裕層のカントリークラブから出てくるわけではない」と語っている。

性格 チャーミングだが試合中は感情的で激高しやすい

普段は陽気で親しみやすい性格だが、コートに入ると別人になる。ミスが続くと、急に怒りが沸点を超えてシャウトし、ラケットを地面に叩きつけて破壊することが多い。試合中にタオルを持ってきたボールボーイを怒鳴り、審判から警告を受け言い争いになることもある。かつての王者ロジャー・フェデラー(スイス)の完璧な立ち振る舞いがあってか、王者としての品格に相応しくないと揶揄される。

テニス界No.1のエンターテイナーでモノマネが得意

コート内外で観客達を沸かせるエンターテイナーとしても有名。試合後のインタビュー、エキシビジョン、その他のイベントで他のテニス選手のものまねを披露し観客を沸かせるひょうきんな一面がある。これはマラト・サフィン(ロシア)の「自分たちのテニスはショーだ」という考え方に影響を受けており、一部ではモノマネ芸人と言われている。1番の得意はシャラポワのモノマネで、両名のスポンサーであるHEADが公式ものまねPVを作った事でも有名。MORE>>>

プロ意識が非常に高い

非常にプロ意識が高い事で知られており、コーチ上でのプレーは勿論、コート外での食事や睡眠も徹底して気を使っている。10歳から職業としてプロテニス選手を選び努力してきた超一流のプロッフェショナルアスリートである。

”トップ選手というのは自分がどのような状態であっても、コート上でできる最大限の努力をし、観客を満足させなければならない”

”我々は寸分の狂いも許さない楽器のようなものだ。もし私の体がほんの少しだけでもベストの状態からはずれていたら、例えば食べた物に対して体がうまく反応しなかったら、こういう選手たち(ナダル、フェデラーら)と同レベルで戦い、勝つことはできない。”−ジョコビッチ

 

経歴・キャリア

1991年 テニスとの出会い

ノバクは4歳の夏に初めてラケットを手にした。セルビアで著名なテニスコーチであるエレーナ・ジェンチッチの合宿に毎日足を運んで、その様子をコートの外から見ていた。ある日、エレーナがコートに迎え入れたことにより、テニスを始める。当時から才能は豊かで将来を嘱望されていた。

“I knew he would become a champion. It was crystal clear to me. He was focused, conscientious, and above all, talented.” – Jelena Gencic

父親は元プロスキー選手で、優れたサッカー選手でもあったこともあり、スキーとサッカーも勤しみ、プロアスリートとしての基礎を磨いた。

1999年 ドイツにテニス留学

小学生になってもノバクのテニス熱は増す一方で、校庭で遊ぶ同級生には目もくれず、まっすぐ家に帰り雨の日も、雪の日も、休日もエレーナコーチの指導を仰いだ。ノバクの並々ならぬテニスへの熱意を感じたコーチは両親にあるアドバイスを送った。

“If you want him to keep progressing, he has to leave the country”.– Jelena Gencic

当時経済苦境に喘ぐセルビアで、両親にとってノバクをドイツに留学させることは容易では無かったが、息子のテニスの才能・実力を考えると留学が最良の選択であることは明白だった。ノバクが13歳の時、彼は著名なテニスコーチのニコール・ピリックのテニスアカデミーで練習するために単身ドイツのミュンヘンに渡る。

“From the first day Novak arrived to the camp it was amazing how focused on tennis he was. I never liked predicting if someone would succeed or not, but with Novak I knew he would be the best.” – Nikola Pilic

2001年 ヨーロッパ選手権で3冠王

14歳になったノバクにとって非常に輝かしい年になった。ヨーロッパ選手権でシングルス・ダブルス・団体の3冠を獲得し、また国際ジュニア選手権でユーゴスラビア(当時)代表に銀メダルをもたらす大活躍だった。

2002年 16歳以下のヨーロッパチャンピオンに

16歳以下のヨーロッパ全土のチャンピオンになる。フランスのラボール、ラポエト、マイアミのプリンスカップ(18歳以下カテゴリー)、セルビアのパンチェボ開催のITFフューチャーズ大会といった歴史ある大会を次々に制覇した。そして、ITF優勝後には世界のジュニアランキングで40位にランクインした。

2003年 プロデビュー・初のATPポイント獲得

ニュルンベルクのITF大会で優勝。そして、レッドスターフューチャーズ大会での勝利により、初めてATPポイントを獲得した。この1年はノバクのプロキャリアの中でも特別なものとなった。

2004年 ATPチャレンジャー初優勝・デビスカップ出場

デビスカップの代表選手として初選出され、ラトビアとの一戦に出場した。当時世界ランキング606位のノバクは、シングルスでJanis Skroderisに勝利しセルビアモンテネグロ(当時)に勝利をもたらす活躍をした。

主催者特別枠で出場したブダペストのATPチャレンジャー大会で優勝し、自身のATP大会初勝利を飾った。また、セルビアのF5 ITFフューチャーズ、ドイツのアーヘンのATPチャレンジャー大会でも勝利した。そして、最終のATPランキングを世界184位で終えた。

2005年 世界ランクTOP100位の壁を突破

この年からより大きなATP大会に出場するようになる。全豪オープンで本戦に出場し、初のグランドスラムを経験。全仏オープンで初勝利、ウィンブルドンで3回戦、そして全米オープンも3回戦まで勝ち進んだ。これらの大会を経験したことにより、初めて世界ランキングTOP100位の壁を破った。

この年最後の大会であるフランスのベルシー大会では当時世界9位のマリアーノ・プエルタを破り三回戦に進出した事により、最終ランキングは78位まで上昇。

2006年 ATPツアー初優勝・全仏ベスト8・世界20位突破

5月の全仏オープンでベスト8進出をきっかけに、ノバクはブレークスルーを迎える。世界ランキング63位のノーシード選手だったジョコビッチは、2回戦でフェルナンド・ゴンサレス、3回戦でトミー・ハースといった強豪選手たちを破って勝ち進むと、準々決勝で昨年の同大会優勝者ラファエル・ナダルとの対戦中に腰を痛め、6-4, 6-4 と2セットを先取された後で途中棄権を余儀なくされた。

全仏オープンで8強進出の後、ジョコビッチは続くウィンブルドンでも2回戦でトミー・ロブレドを破り、第7シードのマリオ・アンチッチとの4回戦まで進出した。ウィンブルドンの終了直後、7月中旬に開かれたオランダ・アメルスフォールト大会の決勝はニコラス・マスーを破り、ATPツアー初優勝を達成。(後にこの大会はジョコビッチの家族が大会開催権を取得し、現在セルビアのベオグラードで開催。)

第20シードとして四大大会で初のシード選手として挑んだ全米オープンでは3回戦で敗れたものの、10月初頭にフランス・メス大会でツアー2勝目を挙げた。この勝利により、世界ランク20位以内で最も若い選手となった。

2007年 4大大会初の決勝進出・世界3位に駆け上がる

アデレード大会での勝利を皮切りにノバクは大躍進を果たす。全豪オープンでベスト8、ATP500のロッテルダムでベスト4に進出と安定した成績でスタートを切る。

そして、続くATP1000のマイアミ・マスターズ決勝では、フェデラーを倒して勝ち上がって来たギリェルモ・カナスを破りATPマスターズシリーズ優勝し遂にビッグトーナメントで結果を残す。全仏オープンでは第6シードとして出場し、準決勝で同大会2連覇中のナダルに 5-7, 4-6, 2-6 で敗れ四大大会初のベスト4に。

ウィンブルドンでは第4シードで出場。4回戦でレイトン・ヒューイットと4時間、準々決勝でマルコス・バグダティスと5時間ものマラソンマッチを戦い抜き、苦しみつつも準決勝まで勝ち上がるも、ナダルとの対戦中に足の痛みで途中棄権するも、全仏に続きベスト4進出。

そして、8月のATP1000のカナダ・マスターズでは、準々決勝で当時世界3位のアンディ・ロディック、準決勝で同2位のナダル、決勝で同1位のフェデラーを倒し、ATPマスターズ2勝目を挙げ、世界ランキングは遂に3位まで上昇した。

11月の全米オープンで初めて4大大会決勝に進出したが、フェデラーに 6-7(4-7), 6-7(2-7), 4-6 のストレートで敗れて準優勝に終わるも、自身初の四大大会のファイナリストを経験。続くマスターズ1000のインディアンウェルズ(BNPパリバオープン)でも決勝に進出した。この年の最終世界ランキングは、フェデラー、ナダルに続く3位で終えた。

2008年 全豪優勝・五輪銅メダル・男子ツアー年間最終戦優勝

全豪オープンで、ジョコビッチは準決勝でフェデラーに 7-5, 6-3, 7-6(7-5) のストレート勝ちを収め、決勝戦ではノーシードから勝ち上がったジョー=ウィルフリード・ツォンガ(フランス)を 4-6, 6-4, 6-3, 7-6(7-2) で破り、20歳8ヶ月でグランドスラム初優勝を達成した。これはセルビア出身のテニス選手として、最初の4大大会男子シングルス優勝の快挙でもある。

全豪優勝から半年後、彼は8月の北京五輪で男子シングルスの銅メダリストになった。第3シードのジョコビッチは準決勝でナダルに敗れた後、準決勝敗退選手2名による「銅メダル決定戦」でジェームズ・ブレーク(アメリカ)を 6-3, 7-6(7-4) で破り、オリンピックのセルビア代表選手として銅メダルを獲得した。

この年、マスターズ1000のインディアンウェルズとローマで優勝し、2008年度の男子ツアー年間最終戦「テニス・マスターズ・カップ」では、決勝でニコライ・ダビデンコ(ロシア)を 6-1, 7-5 で破って初優勝を飾った。年間の最終ランキングは、遂に入れ替わったナダル、フェデラーに続く3位で終了した。

2009年 世界3位をキープ・ATPタイトル5回獲得

ATP1000のパリマスターズ、 ATP500のドバイ、北京、バーゼル大会、ATP250のベオグラードの5つのATPトーナメントで優勝。特にベオグラード大会はジョコビッチの地元とあって、その優勝は街をあげて祝福された。一方、ATPマスターズ1000のシンシナティ、ローマ、モンテカルロ、マイアミ、ATP500のハレの5大会で準優勝。

TOP3選手として初めて迎えた年だったが、ATPトーナメントで10回決勝に進出し、そのうち5つツアータイトルを獲得した。また、グランドスラムでの優勝は無かったものの、全豪ベスト8、全仏3回戦、全英ベスト8、全米ベスト4の結果を残す。年間を通じてランキングに相応しい安定した結果を残しTOP3に定着した。

フェデラー/ナダルの2強時代の牙城を崩す次世代選手((2009年全仏準優勝セーデリング、2009年最終戦優勝ダビデンコ、2009年全米優勝デル・ポトロ、2008年全米準優勝マレー)の中でも若手筆頭格として世間に注目された。年間の最終ランキングは、1位を取り戻したフェデラー、2位のナダルに続く3位で終了した。

2010年 デビスカップ初優勝・グルテン不耐性が発覚

全豪オープンは準々決勝でジョー=ウィルフリード・ツォンガにフルセットで敗れベスト8だったものの、全豪終了後の2010年2月1日付のランキングで、初めて世界2位を記録した。続く全仏オープンでは準々決勝でユルゲン・メルツァーに逆転負けを喫しベスト8。ウィンブルドンでは準決勝で、トマーシュ・ベルディハに完敗しベスト4。全米オープンでは、準決勝で4年連続でフェデラーを対戦し、5-7, 6-1, 5-7, 6-2, 7-5で勝利し3年ぶりに決勝進出を果たす。決勝ではナダルに 4-6, 7-5, 4-6, 2-6 で敗れ準優勝に終わる。

後に2010年を、私にとって、プロ生活で最低の瞬間が2010年だった。”とコメントしている。

この年は2年連続でグランドスラム大会で優勝出来なかったが、デビスカップでは中心選手として出場しアメリカ、クロアチア、チェコを破り決勝進出。12月に地元ベオグラードで開催されたフランスとのデビスカップ決勝では、シングルスでフランスのエース、ジル・シモンを 6-3, 6-1, 7-5 、ガエル・モンフィスを 6-2, 6-2, 6-4 で破り、セルビアの初優勝の原動力として活躍した。セルビアのテニス史に残る歴史的快挙となった。

そして、年末に受けた簡易検査でグルテンタンパク質に不耐性(消化出来ない病気)がある事が発覚し、以降グルテンフリーの食生活に改善。この食事管理が2011年以降の大きな飛躍につながることになる。著書『Serve To Win(邦題 ジョコビッチの生まれ変わる食事)』で詳しく書かれている。MORE>>>

2011年 悲願の世界1位へのブレークスルー・四大大会3冠達成

グルテンフリーの食生活に改善してから、ジョコビッチの大躍進が始まった。まず、全豪オープンでは準決勝でフェデラーを 7-6(7-3), 7-5, 6-4 で破り決勝に進出、決勝ではアンディ・マレーに 6-4, 6-2, 6-3 で快勝し3年ぶり2度目の優勝を果たし好発進。

続く、全仏オープンは順調に勝ち上がったものの準決勝でフェデラーに敗れてベスト4。そして、ウィンブルドンでは決勝進出を決めた時点で、当時1位のナダルを抜いて、遂にキャリア初の世界ランク1位にランクイン。その決勝戦では、 6-4, 6-1, 1-6, 6-3 でナダルに快勝し全英オープン初優勝を飾った。当時、自身の夢だと語っていた「世界ランキングNo.1」と「ウインブルドン優勝」の2つを同時に無しとげた。

“I still think this is all a dream” – Novak Djokovic

 

右肩を痛めた状態で出場した全米オープンでは準決勝でフェデラーと対戦。6-7(7-9)、4-6、6-3、6-2、7-5のフルセットで試合を制した。続く決勝では、前年決勝と同じ相手である第2シードのナダルに 6-2、6-4、6-7、6-1で前年の雪辱を果たし、全米オープン初優勝を遂げた。

この年、グランドスラムで3勝、マスターズ大会で5勝という大活躍で世界No.1にふさわしいキャリアハイシーズンを送った。

2012年

2013年 世界2位に陥落・ボリスベッカーがコーチに

12月にボリス・ベッカーをヘッドコーチに迎えた。

2014年 世界1位に復帰

2015年 二度目の四大大会三冠・ジョコビッチ一強時代の到来

2016年 全仏優勝・ジョーカースラム・五輪金メダルに期待

昨年の勢いそのままに全豪オープンで優勝。5月の全仏オープンの初タイトル獲得が期待されており、悲願の全仏優勝を果たすとキャリアグランドスラム達成と同時に、グランドスラム4連勝になりこれを「ジョーカー・スラム」と呼んでいる。

また、8月のリオオリンピックの金メダルの獲得も有力であり、全仏優勝と合わせて実現すればアガシ、ナダルに続く史上3人目キャリアゴールデンスラムの偉業を達成することになる。

 

プレースタイルと強さの秘密

プレースタイル

フォアとバックの両サイドで同じように強打を打ち、正確なボールコントロールに優れた、攻守一体のアグレッシブベースライナーである。そのプレースタイルはフェデラーやナダルに「弱点がない」と言わしめるほど完成されている。かつては守備一辺倒だったが、ボリスベッカーをコーチに招いてからは、攻撃的なプレーも多くなって更に凄みを増した。

メンタル

ジョコビッチの最大の強さはメンタルの強さとそのコントロール術と言われている。わずか10歳の時点で「僕はテニスを仕事としてやっているんだ。僕は世界No.1になるんだ」とコメントした程のプロ意識とハングリー精神はトッププロの中でも際立っている。また、コソボ紛争の空爆の最中、テニスの練習を続けてきた壮絶な生い立ちも今日の精神的強さの背景にある。

また、試合中に激高してシャウトしたり、ラケットをたたきつけて折る愚行ともとれる行為でさえも、ストレスを溜め込まないためのメンタル管理術の1つと言われている。現在は2014年の結婚と出産という大きなライフイベントを経て、夫となり父となったことで精神的に非常に安定していると自ら語っている。

「家に帰れば、僕はもうテニス選手じゃない。父親で、夫だ。それが絶妙なバランスを作り出していて、その影響でプレーが良くなっているんだと思う」ージョコビッチ MORE>>>「ジョコビッチの強さの秘密【精神力編】」はこちら

フィジカル

ジョコビッチは全体的に細身の体躯で、瞬発力よりも持久力や精度に重きを置いており、そのスタミナはまさに無尽蔵。フェデラーと違い1ポイントが長い守備的プレースタイルでありながらも、最大5セットにも及ぶ四大大会の決勝戦でパーフェクトなプレーを発揮することでできる。また、スキーで培ったボディバランスと天性の関節の柔らかさで、どんな体勢からでも身体に負担をかけることなく、正確に狙った場所に返球できる。

関節と筋肉が柔軟な為、フェデラーと同様にハードなツアースケジュールの中でも極端に怪我が少ない選手でもある。ジョコビッチ本人も「スキーは子供の頃から足首と膝の柔軟性を高めるのに役立った」と話す。そして、ジョコビッチは188センチの身長以上に腕が長く鞭のようにしならせてフォアハンドやクロスカウンターを打つことができる。MORE>>>「ジョコビッチの強さの秘密【身体能力編】」はこちら。

テクニック

スキーで鍛えたスライディングにより、ハードコートでさえもまるでスキーをしているかのように滑って左右前後にスライドすることができる。このスライディングの技術は世界1であり、誰にもまね出来ない特殊能力と言える。また、フットワーク(足さばき)技術も抜群に優れており、長い腕も手伝って、相手のウイナーにも追いついてしまう。この素早くトップスピードに達する足さばきこそがジョコビッチの圧倒的なコートカバー力の秘密である。

ジョコビッチは単に左右・前後にボールを振り分けるだけでなく、ベースラインぎりぎりの深いボールを何度も安定して打つことができる程、ボールコントロール技術に優れている。ナダルやフェデラーは打ち損じて球が短くなることがあるが、ジョコビッチは精密機械のようにライン際に深いボールを打ち続けるので、他選手に比べて崩して前に出て攻め込まれることが少ない。MORE>>>「ジョコビッチの強さの秘密【技術編】」はこちら。

基本戦術

ジョコビッチの基本戦術はコートを広く使って左右に相手を振り回す事にある。このため、サイドラインぎりぎりにボールをコントロールする必要がある。一見すると平凡な戦術でその凄さが分かり難い。しかし、強靭なスタミナと極限レベルに高められたフォア・バック両方のストロークテクニックが、勝利の方程式として成立させている。素人には簡単に見えるかもしれないが、現実には誰も真似ができない戦術、プレースタイルである。

食事

トッププロの中でも、最も食事管理を徹底している。2010年の暮れに受けた簡易検査ELISAテストでグルテンと乳製品対して不耐症(特定の食物を消化することが困難な病気)があることが判明している。当初、14日間グルテンを断っただけで、体の調子が良くなり、コート上でもこれまでにないスピード、柔軟性、集中力を発揮できるようになった。そして、乳製品も食事から取り除くと急激に体重が落ちた。

私にとって、プロ生活で最低の瞬間が2010年だった。(2010年の1月の全豪オープンでは、ツォンガ戦において腹痛を起こし、敗北)しかし、2011年7月までに(あれからわずか18ヶ月後)、私はまったくの別人になっていた。体重が約5キロ落ち、かつてなく強靭になり、子供時代から振り返っても1番の健康体になった。そして、生涯の目標だった2つのゴールに到達した。ウィンブルドン優勝と世界ランキング1位だ。

わずか18ヶ月で、私をただの「そこそこ良い選手」から「世界最高の選手」に生まれ変わらせたのは、新しい食事だった。私の人生が大きく変わったのは、体にあった正しい食事を始め、体が求めてる通りに従ったからだ。-ジョコビッチ MORE>>>

 

テニスギア

ウェア UNIQLO

キャリア初期はアディダス、次にセルジオ・タッキーとウェア契約を結んでいたが、2012年から日本のアパレルメーカー「UNIQLO(ユニクロ)」と5年間のスポンサード契約を結んでいる。契約に至った理由の1つが日本の錦織圭がユニクロと契約しており、安心感を持ったと言われている。今日では四大大会やツアーファイナルで、ジョコビッチVS錦織のユニクロ対決が多く見られるようになった。ジョコビッチが実際に試合で着用しているユニクロ製のウェアは店舗で販売されている商品と全く同じである。MORE>>>「ジョコビッチとユニクロの契約の全て」はこちら。

ラケット HEAD

2004年のデビューから2007年までウィルソンをスポンサード契約していたが、2008年から「HEAD(ヘッド)」と契約。その後、契約延長して8年間に渡ってラケットとラケットバッグを愛用している。MORE>>>

シューズ ADIDAS

2003年のプロデビューより、テニスシューズは「adidas(アディダス)」と契約している。2013年の5月に、ジョコビッチはアディダスとシューズ着用に関する長期契約を締結。ジョコビッチ専用モデルの「バリケード」を何世代にもバージョンチェンジしながら愛用している。MORE>>>

 

コーチ・サポートチーム

過去のコーチ

  • Jelena Gencic :ジョコビッチがテニスの手ほどきを受けた最初のコーチで12歳まで指導を受けた。才能を見いだしドイツ留学を両親に勧めた。かつてのモニカ・セレスのコーチでもある。
  • Nikola Pilic:ユーゴスラビア出身の元プロテニス選手。70年に全米オープン男子ダブルス優勝、73年全仏オープン準優勝。ドイツ留学時代に指導を受けた「ニキ・ピリッチ・テニスアカデミー」のコーチ。他には14年全仏ベスト4のエルネスツ・ガルビス(ラトビア)も育てた。元西ドイツのデビスカップ監督。
  • Marian Vajda:チェコスロバキア出身の元世界34位のプロ選手。前スロバキアのデビスカップ及びフェドカップ代表監督を務めた。2006年から2013年迄ジョコビッチのヘッドコーチとして世界No.1に育てた。現在もジョコビッチ陣営の一員。

ボリス・ベッカー

ボリス・ベッカーは2014年からジョコビッチ陣営のヘッドコーチとして就任。ベッカー自身は四大大会で6勝した元プロテニス選手。90年代にレンドル、エドベリ、サンプラスと並んで活躍した人気選手だったが、引退後には事業失敗、脱税、離婚などのスキャンダル続きで評判を落としており、当初コーチが務めるのか周囲は懐疑的だった。

しかし、ベッカーのコーチングより、ジョコビッチはサーブとボレーを大幅に強化し、守備的傾向が強かったプレーがより攻撃的に変化した。そして、2014年の最終ランキングでは2013年にナダルに明け渡した世界一位に返咲いた。その後、BIG4から頭1つ抜き出てジョコビッチ1強時代が始まった。MORE>>>

エージェント代理人

Edoardo Artaldi

マネジメントエージェンシー IMG

IMG Worldwide, Inc.は世界のトッププロのマネジメントを行っている。男子ではジョコビッチ、錦織圭、ツォンガ、ダビド・フェレール、ガエル・モンフィスなどとマネジメント契約を結んでいる。一方、女子ではウィリアムズ姉妹、マリア・シャラポア、李娜らを抱える。また、チェンナイオープンやマイアミマスターズなどの大会も主催している。

 

プライベート・家族

両親 スルジャン・ディヤナ

ジョコビッチの両親はセルビアの山岳リゾート地コパオニクでの両親はレストラン(ピザ&パンケーキ)「Red Bull」を経営していた。現在は、セルビアで「NOVAK CAFE&RESTAURANT」を数店舗経営している。ジョコビッチの試合会場にも頻繁に足を運び、ファミリーシートでいつも見かける。

  • スルジャン(Srđan):元プロスキー選手。炎のような激しい性格で、ジョコビッチは父譲りの性格。
  • ディヤナ(Diana):母は水のような静かで冷静な性格。

弟 マルコ・ジョルジュ

ノバクは3人男兄弟であり2人の弟がいる。両方ともプロテニス選手として活動している。

  • マルコ(Marko):1991年生まれ。三兄弟の次男。2006年よりITFサーキットに出場。2007年よりプロ転向。2008年に全豪ジュニアに出場するも1回戦敗退。モンテカルロオープンで初ジュニアタイトルを獲得。ATPツアーではワイルドカード枠でタイオープンやドバイ選手権への出場経験がある。ATPツアー勝利経験は無くシングルス自己最高581位。現在は引退はしていないが、テニスは止めている。
  • ジョルジュ(Djordje):1995年生まれ。三兄弟の三男。2015年にワイルドカードで出場した北京オープンでは、兄ノバクとダブルスのペアを組んで初戦を突破した。シングルス自己最高574位(2015年11月)

妻 エレナ・リスティッチ

エレナ・リスティッチはジョコビッチの高校の同級生で2005年から交際スタート。2013年9月に婚約、2014年9月にモンテカルロのリゾート地スティーヴステファンで挙式をあげた。エレナはイタリアミラノの名門ボッコー二大学で学び、モナコ国際大学でMBAを取得。欧州の石油会社の人事としてキャリアをスタートし、その後ファッションモデルを経験し、現在はノバク財団の役員理事を務めている。MORE>>>

息子 ステファン・ジョコビッチ

2014年10月に第一子ステファン君が誕生した。

ペット 2匹のプードル

プードルのピエールとテスラがいる。

交友関係

  • アンディー・マレー(Andy Murray):スコットランド出身のテニス選手。四大大会2勝、ロンドン五輪金メダリスト。現世界No.2でジョコビッチのライバル。アンディとは一週間違いの誕生日で、ジュニア時代から一緒に育ってきた親しい間柄。テニスだけでなく、サッカーをしたり一緒に外出したりと友人関係がプロになっても続いている。ジョコビッチとエレナの結婚式では、結婚式のベストマン(新郎の世話人であり、結婚指輪や結婚証明書を運ぶなど、挙式進行のサポートをする重要人物)を務めたほど深い友人関係。

 

試合結果

グランドスラム(四大大会)

全豪 全仏 全英 全米
2005 1R 2R 3R 3R
2006 1R QF 4R 3R
2007 4R SF SF F
2008 W SF 2R SF
2009 QF 3R QF 3R
2010 QF QF SF F
2011 W SF W W
2012 W F SF F
2013 W SF F F
2014 QF F W SF
2015 W F W W
2016 W

ATPワールドツアー・ファイナル

大会 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015
結果 RR W RR SF RR W W W W

ATPワールドツアー・マスターズ1000

2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015
Indian Wells A 1R F W QF 4R W SF SF W W
Miami A 2R W 2R F 2R W W 4R W W
Monte-Carlo A 1R 3R SF F SF A F W SF W
Madrid1 A 2R QF SF SF A W QF 2R A A
Rome A Q2 QF W F QF W F QF W W
Canada Q2 A W QF QF SF W W SF 3R F
Cincinnati 1R 2R 2R F F QF F F QF 3R F
Shanghai2 Q1 QF SF 3R SF SF A W W SF W
Paris 3R 2R 2R 3R W 3R QF 2R W W W

ATPワールドツアー・ATP500・250

オリンピック

  • 2008年北京五輪男子シングルス銅メダル
  • 2012年ロンドン五輪男子シングルス4位

デビスカップ(国別対抗戦)

  • 2010年ワールドグループ優勝

 

世界ランキング

2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015
順位 184 78 16 3 3 3 3 1 1 2 1 1

 

年収・賞金・スポンサー収入

年間獲得賞金・生涯獲得賞金

アスリートスポンサー収入ランキング

2011 2012 2013 2014 2015
金額  14億ドル  21億ドル  31億ドル
スポーツ界  17位  12位  7位
テニス界  5位  4位  2位

アスリート年収ランキング

2011 2012 2013 2014 2015
金額  20.6億ドル  26.9億ドル  33.1億ドル  48億ドル
スポーツ界  61位  28位  17位  13位
テニス界  4位  3位  3位  2位

 

受賞歴

  • ATP最優秀選手賞(2011-2012,2014)
  • ITFワールドチャンピオン(2011-2014)
  • ゴールデンベーグル賞(2011-2013)
  • BBC海外スポーツパーソナリティ賞(2011)
  • ローレウス世界スポーツ賞(2012,2015)
  • ESPY最優秀選手賞(2012,2013)
  • アーサー・アッシュ ヒューマニタリアン賞(2012)
  • セルビア最優秀アスリート賞(2007,2010-2011)
  • ATP Most Improved Player(2006,2007)

 

その他の活動

レストラン経営 ノバクカフェ&レストラン

2009052800611年に祖国セルビアでオープン。洗練された雰囲気の中、インターナショナル料理を愉しむことが出来る。現在セルビアのNew BelgradeとDorcolの2店舗で展開。ジョコビッチならではのグルテンフリーメニューも提供されている。フランチャイズ展開もしている。

テニスコート経営 ノバクテニスセンター

セルビアのベオグラードの中心地のMilan Gale Muskatirovicを改修したテニスコートを中心とした総合施設ノバクテニスセンター。14面のテニスコートだけはなく、カフェレストラン、ケータリングサービス、ピザレストラン、フィットネス、スパ、そしてジョコビッチのトロフィールームの施設設備を完備。ジョコビッチの両親が営む19年間の歴史を持つピザ店”Red Bull”、Novak Cafe&Restaurantもこのテニスセンター内で営業している。

ノバク財団

2007年にジョコビッチは世界中の恵まれない子供を支援する目的でノバク財団を立ち上げた。現在、妻のエレナが役員理事を務めている。2016年の全豪オープンの優勝賞金から200万ドルを、ノバク財団を通じてメルボルン市の恵まれない子供を救う活動に寄付した。

ユニセフ親善大使

2015年8月にユニセフ(国際児童基金)よりユニセフ親善大使に任命された。同じテニス選手としては、2006年にロジャー・フェデラーが、2011年にセリーナ・ウィリアムズが親善大使を務めている。MORE>>

 

著書

外部リンク