「盛田正明テニスファンド」設立秘話。錦織 西岡…全ての始まり

盛田正明テニスファンド

錦織圭を世界に送り出した、通称”盛田ファンド“。

この財団は平成12年にソニー創業者 盛田明夫氏の実弟が、日本から世界TOP選手を輩出するために私財を投じて設立しました。今回は日本のテニス界を基盤となっている盛田正明テニスファンド(MMTF)の設立経緯を紹介します。

 

盛田正明とは

盛田正明テニスファンド

公益財団法人盛田正明テニスファンド 代表、公益財団法人日本テニス協会 名誉会長。

1976年、ソニー本社常務取締役就任。1982年にソニー本社副社長に就任、またアメリカ合衆国現地法人ソニー・アメリカの会長として1987年に渡米。1992年に帰国しソニー生命保険の社長兼会長に就任。1998年にソニー生命名誉会長に退くと共に、テニスの有望若手選手育成のための基金創設に着手。2016年、国際テニス殿堂の功労賞を受賞。

 

1. ソニー入社後、テニスと出逢う

盛田正明テニスファンド

(前列左より、大賀社長、盛田会長、井深名誉会長、成田副会長、後列左より、森園副社長、盛田正明副社長)

盛田正明氏は昭和26年に東京工業大学を卒業後直ぐに、当時設立5年目、100人足らずの中小企業だったソニー㈱に入社しました。入社後直ぐに、仙台の東北大学の研究所に派遣されましたが、その時に研究所のテニスコートでテニスを始めたのがきっかけで、テニス熱に目覚めました。

それから、実は一度も正式なテニスのレッスンを受けることなく、我流の素人テニスプレーヤーとしてテニスを楽しんできました。

 

2. ソニー退職後、目標を失うもテニス興隆を人生の糧に

仕事の面では、ソニーに入社して以来、創業者の一人である井深大氏から、常に「厳しい目標」を与 えられて、それに邁進する事で働き甲斐と生き甲斐とする「目標人間」に育っていました。 その盛田氏は47年もいたソニーを退社した時、自分の目標が無くなった事に気が付き、”これは大変だ、自分が死ぬまで持てる目標を何か探さねば“と真剣に悩み考えまし た。

その結果得た結論は、今更自分の目標を持つよりも、 若い人に目標を与えて頑張って貰う事で、これを自分の 目標とすれば、死ぬまで目標に向かって行けるのだと考え付いたのです。 また、井深さんはいつも「他人のやれない事をやれ」 と云い続けていました。これも私の身に付いてしまった考えなので、どうせやるなら自分の好きなテニスで今まで誰もやれなかった事をやって見ようと思いました。

極めて才能のあるジュニア選手を幼い時から海外で養成したら、きっと世界のトップに立てる選手が養成出来るに違いない-盛田正明

 

3. 日本テニス界の重鎮、IMG創業者、そしてニック

勿論こんな大構想、テニス素人の盛田氏一人の力では出来る筈はありませんでした。そこで旧知の吉井栄氏に相談し、栄氏から坂井利郎氏、丸山薫氏、米沢徹氏と、テニス界の重鎮らに協力をあおぎながら、徐々にかたちを帯びていきました。

そこに加え、盛田氏の親友であるIMGの創業者マーク・マコー マックにこのアイデアを相談します。実は、常務時代にIMG創業者のマークと知り合い、ソニーとIMGが共同で「ワールドゴルフランキング」開発しました。そして、盛田氏はマークとの関係を通じて、当時のスーパースターであるジミー・コナーズ、モニカ・セレシュを始めとしたアメリカテニス界関係者との親交が深めていきました。

相談の結果、彼が最近買収したニック・ボロテリー・アカデミーを使えと云ってくれて、盛田氏らと共にそのテニスアカデミーまで行って、ニックに直接選手のトレーニングを頼む事が出来ました。

こうして出来上がった盛田正明テニスファンド(MMTF)は、第1回の選手の選考会を行い平成12年には、最初の選手、不田涼子さん、今井理恵さんを米国のIMGアカデミーに送り出しました。(錦織圭は第4期生)

 

4. 私的組織から公益財団法人へ

設立最初は盛田氏の個人的グループでしたが、ステイナブルな組織を考えると”財団を設立すべきだ“と考えて文部科学省に財団設立の申請をしました。しかし、3年間の運営実績をみてからの認可という沙汰がり、平成15年の4月に正式に「財団法人」として認可され、平成25年1月から「公益財団法人」の格を得てスタートしました。