フェデラー物語【第2章】「エネルギーを持て余した少年時代」

Federer-Diana

姉ディアナの誕生

1979年、2人の第一子ディアナが誕生しました。彼女が生まれてから20ヶ月後、フェデラー一家はライン川の対岸、バーゼル中心部からそう遠くはないミュンヘンシュタインへと移り住み、そこでロジャーが誕生しました。

ロジャーの父ローベルト、母リネットは共に小柄で170㌢にも満たない体格でした。そのため、自分の子供がテニス選手になれないのではと心配していましたが、稀有に終わりました。後に、ロジャーは両親に似ること無く、185㌢まで成長しました。

彼女はスーパースターの弟とは対照的に、非常に大人しい性格で、自身が注目を浴びることを避けてきました。現在はバーゼル近郊の病院で精神科の看護師として働いています。実は、弟ロジャーと同様に彼女も双子を授かっています。

少年時代のフェデラーはどんな少年だったのか?

彼の幼少期を知る人は、いつも明るく元気いっぱいで、スポーツ、特に球技で有り余るエネルギーを発散していたと言います。

「僕はとにかく球技が大好きだった。卓球、テニス、バスケット、サッカー。いつもボールで遊んでいたよ。-ロジャー・フェデラー

「ロジャーは難しい子供だったわ。とにかくエネルギーが有り余っていて、親や学校の先生達は常にハラハラさせられてばかり。いつもエネルギーを持て余し、加えてひどく感情的な子だったから、本当に大変だったわ。集中力も無かったから、本当に彼の将来を心配していた時期もあったくらいよ。でも、後に良くなってくれたわ。」-母リネット

スイスの教育システムは、自治体に大きな決定権が委ねられており、バーゼルは当時から現在と変わらず、5歳で幼稚園に入園、7歳で小学校に入学、11か12歳で中学校へ進学し、15歳か16歳で義務教育が終わると、さまざまな進路を選択するという具合です。

ロジャーは姉のディアナと同じく、ミュンヘンシュタインの比較的裕福な地域にあるノイヴェルト幼稚園を経て同公立小学校へ入学しました。世界的製薬企業で働くフェデラー夫妻は望めば、子どもたちを私立に通わせるだけの経済的余裕はあったものの、スイスの裕福な公立学校はレベルが高くその必要はありませんでした。2人は5歳から12歳までそこに通いました。

「ロジャーはサッカー選手になるものと思ってました。彼はいつもサッカーボールを蹴っていて、よく『サッカー選手になりたい』と言っていたので、テニスをしていることは知りませんでした。サッカーが非常に上手だったので、プロサッカー選手になっても驚きはしなかったでしょうね」-小学校時代の校長

「ロジャーは絶えずウロチョロしていました。明るくて人懐っこくて、お行儀も良かったのは事実ですが、とにかく有り余るエネルギーが彼をじっとさせませんでした。でも、非常に聡明な子でしたよ。」-小学校時代の校長

悪魔と呼ばれた問題児

快活すぎる弟を持つディアナは、一時も心休まる時がありませんでした。時にひどく感情的なロジャーは、姉が友人と一緒にいると乱入して騒ぎ立てたり、電話中のディアナから受話器をひったくったりと、常に姉を困らせる問題児でした。

「あの子は本当に小さい悪魔だった」-姉ディアナ

 

第3章へつづく

フェデラー物語【第3章】「テニスとの出会い」

2017.04.24

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