フェデラー物語【第12章】「ジュニア時代のフェデラーとヒューイットの初対戦」

1995年の春。ロジャーはバーゼル選手権で準々決勝に進出しました。

スイス国内でR2(上から2番目のレベル)に属し、13歳の同学年の選手の中では優れた成績でしたが、決してロジャーの臨んだスイス全国TOPレベルからはほど遠いものでした。(当時既に『世界一になる』のが口癖)

ワールド・ユース・カップでスイス代表とオーストラリア代表が激突

1995年は遂にロジャーが世間で注目され始めた年でした。その年の9月、ワールド・ユース・カップでスイス代表に選出され、初めて国際テニス連盟主催の大会に出場。その年はチューリヒの屋外クレーコートで開催されました。

スイスとオーストラリアのナンバーワン同士のシングルス対決に報道陣が取材に来ていました。フェデラーの対戦相手のオーストラリア人は、あのレイトン・ヒューイットでした。

実はジュニア時代はロジャーより、ヒューイットの方が名を知られており実力も上でした。【関連】当時のフェデラーとヒューイットの評価(第10章より)

将来有望な選手同士の対戦と期待され、その期待に十分に答える内容のある試合でした。

フェデラーがが4-6、7-6(3)、6-4 で大接戦を制した

ケーヒルは「長時間に及んだ大接戦」を振り返っています。

2年前にバーゼルでフェデラーの練習を見た経験から、ケーヒルはヒューイットにバックハンドを集中して攻めるように指示しました。

「レイトンが楽に勝利すると思っていたが、あの2年の間でロジャーのテニスは見違えるほど進化しており、驚いた。ロジャーもレイトンも癇癪をおこすほど火花を散らし、興味深いライバル関係が生まれていた」-ケーヒル

試合はロジャーが4-6、7-6(3)、6-4 で勝利しました。しかし、勝負がかかったダブルスで、オーストラリアに敗れました。

この選手権からわずか4ヶ月後。ヒューイットは16歳の若さでプロ転向し、ネクストジェネレーション・アデレード国際で優勝し初のATPタイトルを手にし、大いに注目を集めました。そして、わずか2年後の2000年には世界ランキングTOP10入りを果たし、ロジャーより一足先に世界のTOP選手へと羽ばたいていくのでした。

 

>>第13章へつづく<<