ジョコビッチとマレーの友情。語られることのない真実。

djokovic murray friend

男子テニス界の頂点に君臨するノバク・ジョコビッチと最強のナンバー2として追いかけるアンディーテ・マレー。この2人はジュニア時代から数えてもう20年近い関係であり、友人としてライバルとして切磋琢磨してきました。

プロに転向してからは、この両者は”勝負の世界であるがゆえ、厳しいライバル関係“でかつての”良き友人として”だけではなくなりました。そんな2人の人間関係を出会いから今日に至るまで紐解いていきます。

2000年〜:ジョコビッチとマレーの出会い

11歳の時、フランスの大会で出会う

djokovic murray friendジョコビッチのマレーの出会いは2人が11歳の頃に出場したフランスで開催された12歳以下国際ジュニアトーナメントです。

“僕等の最初の試合では僕はアンディーに負けたよ。当時の彼はパーマがかった髪型でもじゃもじゃだったよ。あと、彼はとても白かった。”-ジョコビッチ

 

その大会には1歳歳上の他のジュニアも沢山出場していました。

“当時ラファエル・ナダルは全ての試合で勝ちまくっていて、神童と噂されていたよ。”-ジョコビッチ

 

マレーはジョコビッチに影響され…

wimbledon-shock-marat-safin-defeats-novak-djokovic-in-straight-setsジョコビッチとマレーの最初の試合は6-0 6-1でマレーが勝利する一方的な展開となりましたが、コート外での2人の関係には特に影響はありませんした。2人は互いの似た境遇に共感し合い直ぐに友達になりました。当時の彼等の年齢で他の友人が遊んでいる中、1つのこと(テニス)にここまで打ち込んでいること自体は特異的ででした。

 

マレーは公な場面では常に険しい表情をして近寄り難い存在でしたが、実際彼の友人の間では、誰もがマレーをとてもスマートでユーモラスな人間だと評しています。その性格の一端は恐らく、コート上で他の選手の特徴をマネをして、特にはジョークを飛ばすジョコビッチの人間性に影響されてるのでしょう。

 

“ジョークと飛ばすことは僕が僕である為の一部だ。僕は7歳の頃から他のテニス選手のモノマネをするのが好きだった。誰よりも人々に笑いや喜びを感じて欲しかったからね。”-ジョコビッチ

 

ジョコビッチもマレーに影響された。

andy murrayマレーがジョコビッチに惹き付けられたように、ジョコビッチもまたマレーの素晴らしいテニスの実績に魅力を感じていました。幼少の頃からテニス界で名を馳せることを決意していたジョコビッチにとって、当時マレーは多くのジュニアの中で自身の実力を測るひとつの物差し(基準)のような存在でした。マレー自身も実の兄のジェイミー・マレーに追いつくために必死に努力していたのは言う迄もありませんが。

 

2人はお互いを高め合う良きライバルでしたが、同様に多くのプレッシャーを感じながら成長を続ける圧倒的なキャラクターで目立っていました。2人は比較的よく試合でぶつかることも多かったのですが、2人ともその時々の対戦機会でお互いに刺激しあいながら、愉しみながら成長をする良き間柄でした。

 

 2004年〜:ジョコビッチとマレーのジュニア時代

ジュニア界で先に台頭したのはマレーだった。

Novak-Djokovic_1112201cたった1週間誕生日が違うだけのジョコビッチとマレーのジュニアランキングの推移が対称的なことは特段驚くほどでもありませんでした。マレーが2004年のUSオープンジュニアで栄光を手にしたのに対して、ジョコビッチは全豪オープンの決勝で負けてしまいその高みにはたどり着くことができませんでした。

 

ジョコビッチが14歳の時に全ヨーロッパチャンピオンのタイトルを獲得しましたが、当時世界ジュニアランキングでは34位以上にはいけませんでした。一方のマレーは既に世界6位でした。(ダブルスも合わせると実質は世界2位)

 

ジュニア大会は生まれついての才能や運でも大きく左右されることが言われていますが、ジョコビッチはマレーよりも早い段階からジュニア大会よりシニアでのランキングに目を向けていました。マレーがUSオープンジュニアでの成功の為に準備している間に、ジョコビッチは既にチャレンジャー大会やフューチャーズ大会に出場し、試合でも勝利をおさめていました。

 

2人が2005年にATPのプロツアーのランキングに入ってから、ジョコビッチは常にその刃を研ぎすませてきました。最初に出場したグランドスラムの予選でスタン・ワウリンカ(スイス)を破り、2005年の全豪オープンの本戦に出場しました。この年ジョコビッチは全てのグランドスラム(全豪、全仏、全英、全米)で本戦に出場にしたのに対して、一方のマレーはワイルドカードで出場したウィンブルドンで三回戦、USオープンで2回戦の成績でした。

 

ジョコビッチは常にマレーの一歩先を進んでいました。ジョコビッチはマレーより3ケ月先にTOP100入りし、2007年3月にはマレーより1ケ月先にTOP10プレイヤーになっています。

 

常に助け合ってきた良き関係の2人。

andy murray novak djokovic friendaしかしながら、彼等2人はライバルというより依然として友人の仲でした。

2人のヤングスターがテニス界での挑戦を始めた時、ジョコビッチが先に台頭しましたが、2人はどんな時も助け合っていました。

 

“当然だけど、僕達2人は試合について良く話し合った。どうやって対戦相手に勝つのかをよく話したよ。本当は練習の時に話すべきだったのだろうけど、互いの試合を見て議論する時は、よくロッカールームやレストランで話したよ。”-ジョコビッチ

 

2007年〜:ジョコビッチとマレーのプロキャリア初期

プロになってからはジョコビッチが逆転した。

Novak+Djokovic+Championships+Wimbledon+2007+rNokpF7Mvohlジョコビッチはそのキャリアの成功から早熟だと言われることも少なくありません。2007年にはわずか10度目のグランドスラムにしてベスト4入りを果たし、翌年にはUSオープンで決勝に進出しました。

そして2011年にはブレークスルーを迎え、全豪オープン、全英オープン、全米オープンと3つのグランドスラムを制し、フェデラーとナダルの2強に牙城を崩す存在になりました。

 

一方でマレー対照的でした。グランドスラムでベスト4入りするには2008年のUSオープンまでかかりました。(同大会では決勝に進出)そして、2012年の全豪オープンで初めて四大大会のタイトルを獲得しましたが、その時点で既にジョコビッチは5回のグランドスラムタイトルを飾っていました。

 

プロ選手の人間関係に悩み苦しんだ時期

14811193_tennis_334809bマレーがその成功を噛み締めている間に、ジョコビッチはグランドスラムでの強烈なプレッシャーの中、個人的な人間関係にどのような変化が起きるのかに注目していました。

ジョコビッチは試合の重要な場面で故障することが多く、その件でライバルプレーヤー達にこきおろれることもありました。

 

“ジョコビッチはまるでマンガみたいなものだ。あんなに怪我ばっかりしているんだからさ。”

“確かにテニスルール上はメディカルタイムアウトを取れるが、それは決して乱用して良い物では無い。僕はジョコビッチは何度もそれをやるのを快くは思っていない。-フェデラ(2008年のデビスカップでジョコビッチに勝利した後のインタビュー)

 

しかし、ジョコビッチの父親はだまって我慢できませんでした。
“確かにフェデラーはテニス史に残るベストプレイヤーだ。しかし、一人の人間としてはベストとは程遠い。”-ジョコビッチの父

 

トッププロの友情はフェイクなのか?

2013年よりジョコビッチのヘッドコーチに就任したボリス・ベッカーは自身の諸著でトップ選手の間に存在する友情なんて所詮「嘘」だと書いています。マレーが手にしたオリンピックでの金メダル(VS フェデラー)、USオープン優勝(VS ジョコビッチ)、ウィンブルドン(VS ジョコビッチ)は、彼は少し気まずい関係に

 

“テニスはメンタルが重要なスポーツだ。アンディがオリンピックで勝利した時、彼はそれを手に入れたと思う。そして、その自信をバネに彼は躍進しメジャー大会で勝利している。”-ジョコビッチ

“僕はアンディの事が好きだけど、仲良くはいられない。厳しい戦いを繰り広げる男達が一体どうやって親友でいられるのさ。-ジョコビッチ

 

“ロジャー、ラファ、そして今はアンディがいる。僕達はお互いの事が好きだし尊敬し合っている。しかし、世間的な常識通り、僕達は親友にはなれないし、一緒に出掛けたりはできない。”–ジョコビッチ

 

BIG4時代

マレーの親友がトップエリートの中でラファエル・ナダルだという事は恐らく偶然では無いです。

マレー、ナダル、ジョコビッチの三人は、ジュニア時代から意識し合って、お互いの関係を愉しんできました。しかし、プロになってからの公式な場所では彼等はより成熟した大人であることが求められ、その関係性は変わっていきました。

 

ロジャー、ラファ、アンディ、そして僕。僕等はお互いに尊敬しあい、良き人間関係を築いている。時々、アンディやラファと食事をするけど、僕達がプロとして戦っている以上、本当の心からの友人にはなれない。でも、いつか僕達が引退した後には、お互いの家族も含めて、ビールを飲みながら僕達の歴史を語り合えることを楽しみにしているよ。”-ジョコビッチ

 

僕達がもっと若かったこと、その関係性はもっと友好的だった。

 

2014年〜:ジョコビッチの結婚式で垣間見えた2人の友情

マレーはジョコビッチの結婚式のベストマンを務めた

At-the-Alter2014年9月にモンテカルロのリゾート地で行われたジョコビッチとエレナ・リスティッチの結婚式では、マリア・シャラポワらと共にマレーも参加しました。そして、マレーは結婚式のベストマン(新郎の世話人であり、結婚指輪や結婚証明書を運ぶなど、挙式進行のサポートをする重要人物)を務めました。

 

この事から分かるように、ジョコビッチとマレーは非常に強い絆で結ばれています。一般的な友情と形容するのは難しいのですが、勝負の世界にいながらもお互いの事を大切に思っています。

 

2015年〜:全豪オープン決勝の舞台で2人の関係にひずみが生まれる

ジョコビッチのメディカルタイムアウトは故意だったのか?

andy-noval近年、ジョコビッチとマレーの関係に亀裂が走った瞬間として有名なのが、2015年の全豪オープンの決勝でした。ジョコビッチは7–6(7–5), 6–7(4–7), 6–3, 6–0でマレーに勝利しましたが、第二セット、第三セットで劣勢になった時2度に渡ってトレーナーを呼びメディカルタイムアウトを取りました。

ジョコビッチは足を引きずるそぶりを見せましたが、それはタイムアウトを使って劣勢を立て直すために故意にやったという見方もありました。かつて、フェデラーがジョークを交えて揶揄したように。

 

集中力を乱され、憤りを感じたマレー

そのジョコビッチの行為について、マレーは明らかにスポーツマンシップに反していると懐疑的な様子でした。

 

promo247069653“第三セットは非常にフラストレーションを感じた。何故なら、ジョコビッチが”数回のラリーの末にコートにひざまづいた事で、僕の集中力が乱された。彼は筋肉の痙攣をうったえていたけど、その行為で僕は気が散った。とても失望したよ。”-マレー

 

“第三セットの最初は彼のプレーは明らかに良く無かった。でも、メディカルタイムアウトを取った後は信じられないような凄いプレーをした。それから、第四セットでの彼の打つ球と彼の動き素晴らしかった。僕には彼に何が起きたのか分からない。”-マレー

 

試合後の記者会見でマレーは、ジョコビッチが足を引きずっていたのは意図的な作戦だったと思うか繰り返しと聞かれていた。
「僕にはわからない」とマレー。「わからないよ。そうでないことを祈るよ」。

ジョコビッチは謂れの無い批判に大いに動揺して、マレーに釈明する機会を提案しましたが、そのような機会を作ることは困難でした。

 

20150201-novak-djokovic-australiaジョコビッチはマレーの集中力が失われていたことについて聞かれると肩をすくめてこう話しました。

 

“こういう試合ではいろいろな感情が出てくるものだし、テンションも高くなる。集中力をずっと100%で維持するのは簡単なことではないんだ。もし機会があれば、僕はアンディと話したい。何の問題もない。何も隠すような事は無い。-ジョコビッチ

 

 

ジョコビッチとマレーの未来

ジョコビッチとマレーの2人共がまだ28歳であることを考えれば、時期にフェデラーやナダルの時代から次第に若い世代にシフトいくでしょう。ラオニッチ、ディミトロフ、キリオス、錦織圭なのか?

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1 個のコメント

  • いつも楽しく見させて頂いている、大のジョコビッチファンです。
    ジョコの記事は必ず見させて頂いていますが、今回の、「アンディはジョコのベストマン」とありますが、日本の報道ではアンディは参加してないとの事で、がっかりしたのを覚えております。ご存知ならば教えて頂きたく。よろしくお願いいたします。

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